関脇 wikipedia|無料辞書
関脇(せきわけ、せきわき)は、
大相撲において
大関の下、
小結の上の階級。
◆ 歴史
「大関」の「脇」をつとめる者、という意味が語源とされる。ちなみに、第2位の力士を〈脇〉というのは、
平安時代の
相撲節会にさかのぼる。
江戸時代には、大関の地位にいる力士が
看板大関であることもしばしばあったので、その時は関脇に位置した力士が実質的にはその場所の最強力士であることも多かった。
雷電爲右エ門が、江戸初登場のときに関脇に位置したのもそういう背景があった。
大相撲で
三役とは、大関・関脇・小結のことであるが、一般的にはこのうち関脇・小結を指す。関脇は大関を狙える一番近い階級でもある。
◆ 昇進と陥落
小結以下の
幕内力士が関脇に昇進する場合には、
横綱・大関に昇進する場合とは異なり、特別な規定は設けられておらず、通常、小結で
勝ち越していれば昇進できる。ただし、小結で勝ち越した場合であっても、関脇が誰も
負け越していない場合かつ関脇が誰も大関に昇進しない場合は、小結に据え置かれてしまう場合が再三ある。極端な場合、小結で10勝しても据え置きの場合もある。反面、
前頭上位で勝ち越し、関脇、小結の全力士が負け越している場合(または勝ち越し力士が1人だけの場合)、小結を越えて一気に関脇に昇進する場合があり、新三役が関脇だった力士も多数いる。逆に、関脇であっても、負け越しによって一気に陥落する場合もある。
通常関脇は、一度の
負け越しで小結以下に陥落する。関脇で7勝8敗の1点負け越しの場合、通常では翌場所は小結の地位へ下がることが多いが、まれに関脇・小結や前頭上位に勝ち越し力士がいなければ、関脇に留まることができる場合もある。例として
1997年11月場所、東関脇の
栃東は7勝8敗と負け越したが、翌
1998年1月場所は西関脇に留まった。
逆に、幕内上位に勝ち越し力士が多数出た場合は、関脇で7勝8敗ながらも前頭筆頭まで陥落した例も少数ながら存在する。例として共に7勝8敗だった、
1991年5月場所で西関脇の
曙と同年9月場所で西関脇の
貴花田は、それぞれ翌場所は東前頭筆頭の地位まで落とされていた。
さらに具体的な例としては、
1992年1月場所で東関脇の
琴錦と、西関脇の
貴闘力は共に7勝8敗だったが、翌3月場所での琴錦は東前頭筆頭に、貴闘力は東前頭2枚目にまで下がってしまった。これは同年1月場所の上位陣の成績をみると、東小結の
栃乃和歌は8勝(翌場所・東小結に据置)、西小結の曙が13勝で優勝次点(翌場所・東関脇)、東前頭筆頭の
水戸泉が8勝(翌場所・東
張出小結)、西前頭筆頭の
若花田が10勝(翌場所・西小結)、東前頭2枚目の貴花田が14勝で優勝(翌場所・西関脇)、東前頭3枚目の
武蔵丸が9勝(翌場所・西前頭筆頭)と、それぞれ幕内上位陣に多数の勝ち越し力士が出たためであった。
関脇が大関に昇進する場合には、関脇(または小結)で2、3場所続けて優秀な成績(3場所通算33勝以上が目安)を挙げなければならない。したがって、8勝7敗のような並の勝ち越しを続けている場合は、何場所も関脇に留まることになる。よって関脇は8勝7敗の繰り返しだけで就くことができる最高の地位と言える。
大関が2場所続けて負け越すと関脇に陥落するが、その場合、関脇の中では最も低い順位に据えられるのが通例である(主に西関脇。東西の関脇が勝ち越しているなら張り出したところの西関脇(いわゆる2番手)となることが多い)。陥落直後の場所に10勝すると無条件に大関復帰できる特典があるため、仮に10勝で復帰を決めた場合に、半枚上の関脇が11勝以上挙げても大関昇進出来ないと、番付・勝ち星共に下回っていた者が翌場所の番付で上になる、という矛盾が生じる。そのため、大関から陥落直後の関脇は第一順位(すなわち東関脇筆頭)に据えるべき、との意見も一部にはあるが、これを徹底すると、前場所好成績を残した東関脇筆頭でも半枚とはいえ、下げないといけない不合理があるため、難しいところである。
世間一般では、関脇と小結とは大差ないようにも見られがちだが、かつて何度も三役に上がり、大関候補と呼ばれた力士は例外なく関脇止まりであり、元小結と元関脇との間には、やはり地力において差があるものと見るべきである。1場所限りならそうではないが、通算成績を見ると小結・関脇の平均的実力差は大きい。
◆ 関脇在位記録
・☆は2009年7月場所終了時点で現役。
◆三役(関脇・小結)在位記録
(2009年1月場所現在)
・☆は2009年7月場所終了時点で現役。
◆ 関脇連続在位記録
(2009年1月場所現在)