論理学 wikipedia|無料辞書
論理学(ろんりがく)とは、
論理を研究する
学問の事を指し、また、
論理とは思考の法則、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりのことである。
よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを的確に、論証を的確にということである。
この
論理を研究する論理学は、昔は
哲学の一分野であった。現在では数学的性格がより強い論理学(
記号論理学、または
数理論理学)と、記号論理学でない論理学とに分化している、と言える。
記号論理学は論理を単なる記号操作として扱う事に特徴があり、記号操作で表せないものは記号論理学では決して扱うことができない。
弁証法なども、「論理」なのであるが、論理学における論理とは異なる。これらは、論理と言うよりむしろ
理論である。
◆ アリストテレスの三段論法
この
論理を研究し、論理学という学問を形にしたのは
アリストテレスとされている。アリストテレスは
ギリシャ語で
言語、
論理を意味する
ロゴス ( logos) から「ことば」の学としてのロギカ(
ギリシア語の
形容詞 logica)を構想した。現代のヨーロッパ各国語で論理学を意味する語はみなこの語に由来する。アリストテレスは「大前提」、「小前提」、「結論」という三つの
命題の組み合わせによる
推論規則としての
三段論法 (gr. syllogismos) について講述した。
アリストテレスの著作は中世西ヨーロッパには完全に伝わらなかったため、初期スコラ哲学まではアリストテレスはもっぱら論理学者として理解された。とくに重要となった源泉はポルフィリオスによるアリストテレス注解であり、スコラ哲学における論理学書は多くポルフィリオス注解の形で書かれた。学校が整備されるようになると、論理学は
自由七科の一部門として専門諸学を学ぶ前の予備学として教えられた。中世ヨーロッパの重要な論理学者には
ボエティウス、
アベラルドゥス、
オッカムのウィリアムなどがいる。
カントが論理学を「アリストテレス以来進歩もなければ 後退もない、いわば完成された学問」と呼んだことからもわかるように、
アリストテレスの論理学は以後長い間、大きな変更を受けることなく受け継がれた。その体系に対する根本的な変革は20世紀のラッセルらの登場を待たねばならなかった。
◆ ライプニッツの「普遍言語」
近世においては
ライプニッツが今日の数理論理学の先駆となる「普遍言語」を構想した。これは多種多様な自然言語に対して、命題の統一的記述を与える
人工言語の構想である。ライプニッツ=ヴォルフ派の学者に属する哲学者バウムガルテンは、伝統的な上級認識能力すなわち理性の論理学に対して、下級認識能力の論理学としての感性学を提唱し、これをギリシア語で感覚を意味する aisthesis によって aesthetica と名づけた。ここから今日の
美学が哲学の領域として確立していく。
◆ 数理論理学
これらの論理学の大きな特徴のひとつは、アリストテレス以来の諸命題の関係を問う命題論理ではなく、主語と述語の関係を問う述語論理を扱うことである。また古典論理学では十分でなかった全称命題と単称命題の関係が
量化子の導入によって明確にされた。
◆ 不完全性定理
アリストテレスの論理学以来はじめて、論理学の世界に革命を起こしたのは20世紀初頭の
バートランド・ラッセルである。彼は
数学は論理学の一分科に過ぎないとする論理主義を提唱し、その著書『数学原理』 (Principia Mathematica)(
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドと共著)において、述語論理の基礎法則を用いて、無から
数学の全体系を再構築しようと試みた。この試みによって、形式論理学が数学において強力な道具になるということを示した。
ラッセルらの仕事を引き継いだのが
ダフィット・ヒルベルトである。ヒルベルトは完全性と無矛盾性を併せもつような数学全体を導くためには、適切な
公理系を見出すことが重要であることを明らかにし、それを見出そうと試みたが(
ヒルベルト・プログラム)、実現することはできなかった。
これは「自然数論を含みかつ無矛盾である計算可能な公理系には、内容的には真であるが、証明できない命題が存在する」というものである(ゲーデル自身は弱い形で示したが一般化された)。
すなわち、二階述語論理より強い表現力をもつ公理系(これには算術体系が含まれる)においては、立証も反証もできない灰色の領域が必ず存在することが示されたのである。これによって、論理によって万物を解き明かそうという、ラッセルやヒルベルトの野望は完全に潰えた。
◆ 論理学の分野