現在の若林区が設けられるまで、この地区が一つのまとまりとされたことはない。区の西端は江戸時代から城下町仙台の一部で、それより東は近郊の農村であった。政令指定都市になるに際し、市の南東部を一個の区として設けたのが若林区である。若林は、
伊達政宗が造営した
若林城(現:
宮城刑務所)に由来する。公募の1位は東区、2位は南区、3位は広瀬区で、若林区は4位であった。東区と南区は方位をとらないという方針によって除かれ、広瀬区は、各区で上位にあり、かつ上・中流のほうが広瀬のイメージにふさわしいという理由で退けられた。
[難波信夫「政令指定都市仙台の区名選定に関する資料」、『市史せんだい』、第15巻、2005年9月。]