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「東海豪雨」||就活-master.com (05/28update)

東海豪雨 wikipedia|無料辞書

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東海豪雨(とうかいごうう)は、2000年9月11日 - 12日を中心に愛知県名古屋市およびその周辺で起こった豪雨災害(水害)。東海集中豪雨とも言う。都市水害の恐怖を実感させる大きな被害で話題になった。なお、東海豪雨は通称であり、気象庁による命名ではない。後に激甚災害に指定された。
以下の地名はすべて豪雨発生当時の自治体名で示す。

◆ 概要
11日夕方ごろから、名古屋市をはじめとする東海地方を中心とした広範囲にわたり大きな被害をもたらし、2日間の積算降水量は多いところで600ミリ前後に上った。
愛知県東海市では11日の午後7時までの1時間に114mm、日降水量492mmの異常な値を記録した。
このため、名古屋市周辺で多数の浸水被害が生じたほか、中部地方太平洋側の広い範囲で浸水、河道護岸の損壊、崖崩れ、土石流などによる災害が発生した。この災害により、愛知県名古屋市西春日井郡師勝町(現・北名古屋市)・西春町(現・北名古屋市)・清洲町(現・清須市)・西枇杷島町(現・清須市)・新川町(現・清須市)・豊山町豊明市半田市刈谷市大府市岩倉市知多郡美浜町東浦町海部郡甚目寺町大治町北設楽郡稲武町(現・豊田市)、岐阜県恵那郡上矢作町(現・恵那市)の18市町に災害救助法が適用された。
この豪雨災害で最も着目される点としては、名古屋市周辺における浸水被害である。最も浸水被害が激しかったのは、天白区野並地区で、天白川とその支流の藤川の堤防に囲まれた堤内地が水面より遥かに低い地形だったため、行き場を失った雨水が集中し、ポンプ場から天白川に排水した水が、そのまま藤川の支流の郷下川(ごうしたがわ)を逆流して、再度野並地区に流入するという悪循環を繰り返し、やがて地区の住宅の1階は完全に水没し、住居内での溺死者も発生した。ポンプ場も浸水して機能停止したため、水が引くまでに相当の時間を要することとなった。
一方、元々旧市街地を洪水から守る庄内川放流路としての洗堰の向こう側に広がった名古屋市内の庄内川水系新川では、長さ100メートルにわたる破堤があったほか、愛知県内で少なくとも10か所で破堤し、名古屋市中川区下之一色町では、洗い堰での分流にもかかわらず庄内川が堤防高を超えて溢水するなど、各地で多数の越流があった。
この結果、新川流域(名古屋市西区山田地区、清須市(当時の西春日井郡西枇杷島町・新川町など))、庄内川流域(名古屋市中川区)、天白川流域(名古屋市天白区など)、境川逢妻川流域(大府市・知立市・刈谷市・知多郡東浦町など)、名古屋市周辺で多数の浸水被害が生じた。
岐阜県では矢作川流域を中心とした恵南地域に多大な被害が出たため、この豪雨に関して岐阜県内に限っては恵南豪雨とも呼ばれる。

◆被害状況
消防庁によると、静岡、岐阜、愛知、三重の各県で10人が死亡し、全国で115人が重軽傷を負った。経済的被害は2700億円を超え、1959年伊勢湾台風以来の水害となった。

◇交通網

 東海道新幹線
東海道新幹線は、11日の昼ごろまではダイヤ通り運転していた。それから名古屋市付近では警戒水準を超える降雨を記録したにもかかわらず、JR東海は、名古屋地方気象台発表の予報がここまでの豪雨を予想していなかったことと、「いずれ止むだろう」という期待値を含んだ見通し、更に「遅れを最小限にとどめたい」、「運休は避けたい」という考えもあってか、東京駅からダイヤ通りに次々に新幹線を発車させた。ところが、むしろ雨足は強まるばかりで、出発した列車は徐行と停止を繰り返しながら遅延を拡大させ、結果的に、東京駅〜米原駅の間で、70本近い列車が団子状態で止まったまま、東海道新幹線は全面的に不通となった。
駅間に停車したまま一向に動かない列車の乗客は、正確な情報がないまま「運転再開まで、もうしばらくお待ちください」などという車内放送が繰り返されるだけの状況に、イライラを募らせ、車掌はその対応に追われることとなった。
運良く列車が駅ホームにおいて足止めとなった乗客は、改札を出て駅近くのホテルなどを利用できたが、結局5万人を超える乗客が車内に閉じ込められ、一夜を明かした。この乗客の中には甲子園球場での阪神戦に出場する巨人の選手も数人含まれており、試合は延期となった。
天候が回復した翌日もダイヤの乱れは続き、当時の「のぞみ20号」(博多発東京行き)は、22時間21分遅れで終着の東京駅に到着するという、開業以来最悪の遅延を記録することとなった。