韓国は
第二次世界大戦の講和条約である
日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)に戦勝国として参加することを希望していたが、
連合国が
韓国臨時政府を
承認した事実がなく
イギリスや
アメリカによって拒否された。また、
対馬、
波浪島、
竹島を自国領土であると主張していたが、対馬が日本領であることは明白であったし、波浪島は実在しなかった。韓国は日本国との平和条約での日本の放棄領土に波浪島、竹島を追加すること及び
マッカーサー・ラインを継続することを要望したが、アメリカは
1951年(昭和26年)8月10日に「
ラスク書簡」にて、韓国の要求を拒否した。「ラスク書簡」の約1ヶ月後の1951年(昭和26年)9月8日に
日本国との平和条約は署名され、翌年4月28日に条約が発効される手筈となっていた。韓国は日本国との平和条約の発効によりマッカーサーラインの消滅と
日本の主権回復がなされる直前の1952年(昭和27年)1月18日に突如として李承晩ラインの宣言を行った。