天文方は世襲制であったが、時には
天文学に通じた人物を追加あるいは
養子縁組して世襲を許したために幕末までに
渋川家、
猪飼家、西川家、山路家、吉田家、奥村家、高橋家、足立家の8家が任命されている。もっとも家系が断絶した家もあり、
西川如見(子の
正休が
徳川吉宗によって天文方に招聘)や
高橋至時の子孫も
幕末までは継承されず、最終的には渋川家・山路家・足立家のみが存続した。
文化8年(
1811年)に
高橋景保の提案によって
蛮書和解御用が設置され、
安政3年(
1858年)の
蕃書調所設置まで続いている。幕末には編暦以外にも
天文や測量、地誌、洋書翻訳なども取り仕切った。現・東京大学の起源の1つである。