北海道開発庁 wikipedia|無料辞書
◆来歴
1949年6月、中央政府による北海道の総合開発を目的とするために北海道開発庁を設置。同年7月、出先機関として開発事業を実施する
北海道開発局(札幌市)を設置。
北海道開発法に基づいて北海道の総合的な開発を展開してきた。組織的には、札幌開発建設部など11の開発建設部があり、ここで開発行政を進めている。
設置の背景には、
1947年4月に行われた北海道知事選挙で
社会党の
田中敏文が選ばれた事による、政府の北海道への影響力低下を阻止しようという意向が働いている。当時北海道内では地方自治の冒涜であるとして激しい反対運動が起きたが、
吉田内閣の
増田甲子七北海道開発庁長官は国会で「公選知事に開発行政をゆだねるというのは、元来検討が足りなかつた。八十年来の慣行はむしろ国の出先機関である長官がやつておつた。」として強行した。
国土交通省に、北海道開発を担当する北海道局を設置。実際に北海道開発事業を実施する北海道開発局は、地方支分部局と位置づけられた。これまで北海道開発局は、旧建設省の出先機関である建設局(現・地方整備局)などと同等の格付けとなっている。しかし、本州の地方整備局と異なり、
農水省の出先である
地方農政局が実施している直轄公共事業も実施。より、一体的な開発行政を進めていたのが特徴となっている。
◆組織
◆ 歴代の北海道開発庁長官等
・辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
・事務取扱・事務代理は、長官空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
・
第48代・賀雷四郎から第67代・井上吉夫までの20代の長官は沖縄開発庁長官と兼務した(法的に兼務することの義務等があったわけではない)。このため、報道等では、当該国務大臣を「北海道・沖縄開発庁長官」と簡略化して表現することがあったが、これは「北海道・沖縄開発庁」という一つの官庁があったかのような紛らわしさがあるため、本記事では用いない。
・
原子力委員会委員長は、発足時の1956年1月1日から同年5月18日までは国務大臣から直接充てるポストであったためこの期間に該当する第11代・正力松太郎の兼務等欄に記載するが、同年5月19日以降は法改正により科学技術庁長官たる国務大臣が自動的に兼務するポストとなった(専用の辞令を要する他の大臣委員会の委員長及び大臣庁の長官と同格とは言えなくなった)ため、同欄には記載しない。