フォークル解散後の1969年にソロ活動を始め、この時期の主要作品に「
家をつくるなら」(1971年)がある。ミカバンド解散後、
1977年、作詞家の
安井かずみと再婚し、公私ともにパートナーとなる。彼女が病に倒れる1990年代初頭まで「作詞・安井かずみ/作曲・加藤和彦」で、三部作
[通称・ヨーロッパ三部作。『ヴェネツィア』(1984年)を含めて四部作とする場合も多い。]『
パパ・ヘミングウェイ』『
うたかたのオペラ』『
ベル・エキセントリック』(1979年-1981年)などのソロ作品の他、数々の作品を他ミュージシャンに提供した。また、1980年代から映画音楽、1990年代後半からは
スーパー歌舞伎の音楽なども幅広く手掛ける。
東京都立竹台高等学校卒業後、仏師だった祖父の後を継ぐつもりで伏見区の実家に戻り、歩いて10分のところに位置していた仏教系大学
龍谷大学に入学。アマチュアフォークグループ「
ザ・フォーク・クルセダーズ」の解散記念に制作したインディーズアルバム『ハレンチ・ザ・フォーク・クルセダーズ』中のオリジナル曲『
帰って来たヨッパライ』に対するリクエストがラジオ局に殺到し、プロデビューの話が持ち込まれる。加藤は難色を示したが、毎朝説得に来ていた
[北山修著『くたばれ芸能野郎』]北山修の説得により1年かぎりとの約束でプロの世界に入る。