石巻湾は湾奥部にあり、牡鹿半島によっても外洋からの
うねりが遮られるため波が穏やかである。松島湾は多島の内海となって波がほとんどない。そのため、
サーフィンには不向きであるが、石巻湾と松島湾の
砂浜では
消波ブロックがなくとも
海水浴が出来る。仙台湾(狭義)は、外洋に面した形状であるため、うねりが直接入って
波が大きい。このため、消波ブロックがない場所では海水浴が禁止されている一方で、サーフィンには適した地域となっている。
11世紀以後、多賀城が西の現
仙台市宮城野区岩切にある
奥大道と冠屋川(または冠川。現在の
七北田川)の交点付近左岸に移転して「多賀国府」(たがのこう)と呼ばれるようになった考えられ、松島丘陵を超えて達する塩竈津よりは、冠屋川の河口港である湊浜が外港の地位を得たと考えられている(現在の七北田川は仙台市宮城野区蒲生に河口があるが、冠屋川は
七ヶ浜町内の湊浜に河口があった)。奥大道と冠屋川の交点右岸には河原宿五日市場(陸路による集荷)、そこからやや下流左岸には冠屋市場(河川交通による集荷)という定期市が鎌倉時代には開かれており、両者を合わせて
六斎市の様相を呈していた。このように、多賀国府周辺には都市的な様相があり、陸奥国府としての機能がなくなる
南北朝時代以降も上町、下町として、
戦国時代でも多賀国府町(たがのこうまち)として存続し、外港も維持されたと考えられる。