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「ペドロ・デ・ラ・ロサ」||就活-master.com (05/26update)

ペドロ・デ・ラ・ロサ wikipedia|無料辞書

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車番 = |
所属チーム = マクラーレン |
年 = 1999 - 2002,2005 - 2006|
過去の所属チーム = '99-'00アロウズ
'01-'02ジャガー |
出走回数 = 72 |
タイトル = 0 |
優勝回数 = 0 |
通算獲得ポイント = 30 |
表彰台回数 = 1 |
ポールポジション = 0 |
ファステストラップ = 1 |
F1デビュー戦 = 1999年オーストラリアGP |
初勝利 =|
今年度 = 2006 |
今年度順位 = 11位 (19ポイント) |
最新レース = 2006年第18戦
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ペドロ・マルティネス・デ・ラ・ロサ(Pedro Mart?nez de la Rosa, 1971年2月24日 - )はスペイン人のF1ドライバー。2003年からマクラーレンチームのテスト兼リザーブドライバーを務めていた。2006年フランスGPからレースドライバーとして復帰したが、2007年はルイス・ハミルトンの加入に伴い再びテストドライバーに戻っている。
現在、F1における事実上の選手会組織であるGPDAの会長を務める。

◆ プロフィール
1995年全日本F3選手権のシリーズチャンピオンを獲得し、翌1996年にはフォーミュラ・ニッポンにステップアップ。1997年には全日本GT選手権(JGTC)でシリーズチャンピオンを獲得し、フォーミュラニッポンではF1の解説でおなじみの森脇基恭が率いるチーム・ノバエンジニアリングで全戦表彰台に上がる活躍でフォーミュラ・ニッポンのシリーズチャンピオンを獲得するなど、F1昇格までの道のりにおいて日本との縁が深いドライバー。
1999年、アロウズからF1デビューを果たし、開幕戦オーストラリアGPではいきなり6位入賞を果たした。しかし、チームの資金難もあり、その後はパッとしなかった。
そして2000年もアロウズ、2001年2002年にジャガーのレギュラードライバーとして在籍するが、シーズン終了後シートを喪失。
2003年からマクラーレンのサードドライバーとして契約。
2004年にマクラーレンはコンストラクターズランキング5位となったために、2005年のレースウィーク金曜日において3台目のマシンを走らせる権利を獲得、そのため主にデ・ラ・ロサが金曜日のフリー走行に参加した。これは、当初マクラーレンのシャシーが大柄なアレクサンダー・ヴルツのサイズに合わなかった為と言われていたが、シャシーの改良でヴルツがテストに参加できるようになった以降もデ・ラ・ロサが優先されていることから、エースドライバーのキミ・ライコネンとドライビングスタイルが似ていることが大きな理由であると思われる。なお、第3戦バーレーンGPでは怪我で欠場したファン・パブロ・モントーヤに代わりレースに出場し、5位入賞を果たすとともに、初のファステストラップを記録した。
2006年モントーヤが来期のNASCAR参戦と共に、シーズン途中でのチーム離脱を発表。これによりフランスGPより彼が出走する事が決定した。
迎えたフランスGPでは7位入賞を果たし、第13戦ハンガリーGPでは、自身初の2位表彰台に上がった。
2007年は、フェルナンド・アロンソルイス・ハミルトンが正ドライバーとして加入したので再び同チームのテストドライバーを務めた。最終戦のブラジルグランプリで「私の契約はあと2年ある。そして、チームにはとても満足している」と本人が言っていることから2009年まではマクラーレンとの契約があるものとみられている。また、デ・ラ・ロサは2008年度からマクラーレンのカスタマーシャシーで参戦予定だったプロドライブに乗ることは2007年シーズン序盤では「選択肢」であったことを述べている。[外部リンク] De la Rosa to stay at McLaren in 2008, 2009-(auto123.com 10月22日記事)

◆ F1での年度別成績