1531年には約180人の手勢と37頭の馬を引き連れ、パナマを出港し、ペルーへの侵入を開始した。サン・マテオ島で騎馬隊を下船させ、トゥンベスまで南下し、サン・ミゲル・デ・ビウラを建設した。その後、インカ皇帝
アタワルパを追って南進した。
1532年にカハマルカでアタワルパと会見し、その場で生け捕りにした。アタワルパの身代金として、莫大な金銀を受け取ったが、アタワルパが存在する限り先住民が彼をリーダーに担いで反乱を起こす可能性があると判断し、約束を反故にして、
1533年7月26日処刑を敢行した。その後も、インカ帝国の分裂を巧みに利用しながら進撃し、11月にはインカ帝国の首都である
クスコに無血入城した。
1535年1月18日に新首都として
リマ市を建設した。
ペルー人はインディオはもちろん、混血である
メスティーソの多くも自らのルーツを「インカ人」ととらえており、「ピサロは先祖が築いた
インカ文明を破壊した人物」という認識をもっている。このためリマ建都400周年を記念に1935年にピサロの故郷のスペイン・エストレマドゥーラからリマ市に贈られたピサロの騎馬像は、最初の十数年は大聖堂の前に置かれていたが、市民の反発で道一本隔てた大統領府前のアルマス広場の片隅に移された。その後、1990年代に再度反対運動が起こって、1998年ごろには「国民感情にそぐわない」との理由で撤去された。