就活-master.com (05/25update)

▼最新情報をCheck!!▼


「ハンモックナンバー」||就活-master.com (05/25update)

ハンモックナンバー wikipedia|無料辞書

前のページ 1/3 次のページ
ハンモックナンバーとは海軍兵学校における卒業席次のこと。

◆ 概要
大日本帝国海軍では「軍令承行令」の序列人事制度によって、兵学校の卒業生は卒業期の卒業席次順に昇進していった。海軍創設時は鹿児島県(薩摩藩)出身者が海軍の中心派閥としており、同郷意識による藩閥たる薩摩閥が幅を利かせていた。そのため、情実をなくすため、海軍兵学校卒業成績に基づく序列制度が考案され、実施されるようになった。
ハンモックナンバーを基準とすることで、地縁差別による派閥の横行がなくなり、明朗で公正な人事が期待されるとして定着した。
一方で、先に卒業した先輩を飛び超える人事や卒業席次順に反する人事に支障が来たす問題もあった。抜擢人事は大佐までで将官は先任序列に従うとされた。これが人事の硬直化を招いた。
ハンモックナンバーを逆転させるには、海軍大学校や各種術科学校で成績をアップしたり、実戦や研究で実績を挙げたり、あるいは上官や退役将官の信任を受けて有利な人事を頼んだりする手立てがある。ハンモックナンバーが下位にありながら、海軍大将までの昇進を果たした例として、2期17人中16席山本権兵衛・8期35人中19席の八代六郎・10期27人中17席の名和又八郎・12期19人中16席有馬良橘・13期36人中22席の栃内曽次郎・27期114人中50席末次信正・29期125人中68席の米内光政・31期188人中76席及川古志郎などが挙げられる。
ハンモックナンバーに基づく序列を遵守すると、実態に沿わない事例が多数出てくる。一例として昭和20年5月末、小沢治三郎連合艦隊司令長官に就任した際の指揮系統変更を挙げる。小沢の就任と同時に、南西方面艦隊南東方面艦隊が連合艦隊から除外され、大本営直轄部隊に変更された。作戦上、両艦隊は本土から孤立して共同作戦が取れないが、それは連合艦隊に残留した第十方面艦隊第四艦隊も同様である。これは司令長官のハンモックナンバーの影響である。小沢は海軍兵学校第37期を45席で卒業したが、同期生の南西方面艦隊司令長官大川内伝七は41席、南東方面艦隊司令長官草鹿任一は21席で、両名とも小沢より上位であるため、小沢に指揮権が与えられなかった。小沢の就任を前に、井上成美の大将昇進に対応して、26席の前兵学校長小松輝久と37席の前大湊警備府司令長官後藤英次予備役編入を受けている。小沢が大将昇進を固辞した理由の一つとして、昇進によって抜かれる大川内と草鹿が予備役編入を強いられるためだとも言われている。大川内はフィリピンのルソン島、草鹿はラバウルにいて内地との交通を絶たれており、内地に帰任することも、他所から後任者を送ることも不可能であった。よって両名は予備役編入と同時に即日召集を受け、予備役中将として従来の職務を継続せざるを得ない。これは「懲罰」としてでなければあり得ない人事で論外である。仮に、草鹿・大川内・小沢の3名を同時に大将に昇進させれば問題はなくなるが、大将へ昇進する人数は陸軍とのバランスもあって限られているため不可能だったろう。
ロンドン軍縮会議にともなう人員削減の際には、昇進と同時に予備役編入を受けて海軍を去る名誉昇進が多数あったが、ハンモックナンバーが下位の者は名誉昇進措置が取られないケースがあった。特に恩給が大幅に増額される大佐から少将への名誉昇進を受けられるか否かは、退職後の将校にとって大きな死活問題となった。
人事硬直化の例として、真珠湾攻撃前において第一航空艦隊司令長官の候補だった36期南雲忠一と37期小沢治三郎がいたが、空母機動部隊という概念の提唱者である小沢ではなく航空戦の知識がなかった南雲が就任したことがあげられる。
言葉の由来は兵学校における寝床がハンモックであり、成績順にハンモック(寝床)の順番が決められていたことからとされている。なお、この言葉は、海軍予備士官の養成機関でもあった高等商船学校(東京、神戸)でも用いられた。
制度的な残滓として、中央省庁のキャリア官僚における昇進人事、自由民主党国会議員の当選回数・所属派閥による順送り人事、防衛大学校卒業席次による昇進人事、宝塚歌劇団での宝塚音楽学校卒業席次による配役管理が現在に至っている。

◇海軍兵学校卒業席次