そのころベルは、電話機の発明を確定させるべく最終的な研究段階に入っていて、発明の一部が
トーマス・エジソンの特許に触れる可能性があったので、それを避ける方策を探していた。やがて、ベルとその開発チームのメンバーはベルリナーの改良案の採用が必要と判断し、特許とともにベルリナー自身を技師として雇い入れることにしたのである。
1876年にはベルリナーの改良案を加え、ベルはエジソンとの電話機における特許争いに勝利し、最終的な特許を確定した。これに対しエジソンは別の分野での反撃を試みて、
1877年に最初の錫箔円筒式
蓄音機「フォノグラフ」を完成させ、マスコミに発表している。この蓄音機は「話す機械」として喧伝され、大いに評判を呼んだものの、評判のわりに性能が低く、実用化にはほど遠かった。その後、ベルリナーをはじめとするベルの開発チームのメンバーは、蓄音機の実用化に向け、彼らは録音と再生の針を別にしたり、保存の効かない錫箔をワックス塗りに変えたり、再生にゴム管を使い音声が明瞭に聞こえるようにしたりするなどといった改良を加え、
1885年には完全に実用に徹した「グラフォフォン」を誕生させた。